D坂の殺人事件 11/25 (江戸川乱歩)
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 読者諸君、事件はなかなか面白くなって来た。犯人はどこから入って、どこから逃げたのか、裏口からでもない、二階の窓からでもない、そして表からでは勿論ない。彼は最初から存在しなかったのか、それとも煙の様に消えてしまったのか。不思議はそればかりでない。小林刑事が、検事の前に連れて来た二人の学生が、実に妙なことを申し立てたのだ。それは裏側の長屋に間借りしている、ある工業学校の生徒達で、二人とも出鱈目を言う様な男とも見えぬが、それにも拘わらず、彼等の陳述は、この事件をますます不可解にする様な性質のものだったのである。
 検事の質問に対して、彼等は大体左の様に答えた。
「僕はちょうど八時頃に、この古本屋の前に立って、そこの台にある雑誌を開いて見ていたのです。すると、奥の方で何だか物音がしたもんですから、ふと目を上げてこの障子の方を見ますと、障子は閉まっていましたけれど、この格子の様になった所が開いてましたので、そのすき間に一人の男の立っているのが見えました。しかし、私が目を上げるのと、その男が、この格子を閉めるのとほとんど同時でしたから、詳しいことは無論分かりませんが、でも、帯の工合で男だったことは確かです」
「で、男だったというほかに何か気付いた点はありませんか、背格好とか、着物の柄とか」
「見えたのは腰から下ですから、背格好はちょっと分かりませんが、着物は黒いものでした。ひょっとしたら、細い縞か絣であったかもしれませんけれど。私の目には黒無地に見えました」
「僕もこの友達と一緒に本を見ていたんです」ともう一方の学生、「そして、同じ様に物音に気づいて同じ様に格子の閉まるのを見ました。ですが、その男は確かに白い着物を着ていました。縞も模様もない、真っ白な着物です」
「それは変ではありませんか。君達の内どちらかが間違いでなけりゃ」
「決して間違いではありません」
「僕も嘘は言いません」
 この二人の学生の不思議な陳述は何を意味するか、鋭敏な読者は恐らくあることに気づかれたであろう。実は、私もそれに気付いたのだ。しかし、裁判所や警察の人達は、この点について、余りに深く考えない様子だった。
--おわり--