文鳥 17/28 (夏目漱石)
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 三重吉の説によると、馴れるにしたがって、文鳥が人の顔を見て鳴くようになるんだそうだ。現に三重吉の飼っていた文鳥は、三重吉が傍にいさえすれば、しきりに千代千代と鳴きつづけたそうだ。のみならず三重吉の指の先から餌を食べるという。自分もいつか指の先で餌をやってみたいと思った。
 次の朝はまた怠けた。昔の女の顔もつい思い出さなかった。顔を洗って、食事を済まして、初めて、気がついたように縁側へ出てみると、いつの間にか籠が箱の上に乗っている。文鳥はもう止まり木の上を面白そうにあちら、こちらと飛び移っている。そうして時々は首を伸して籠の外を下の方から覗いている。その様子がなかなか無邪気である。昔紫の帯上でいたずらをした女は襟の長い、背のすらりとした、ちょっと首を曲げて人を見る癖があった。
 粟はまだある。水もまだある。文鳥は満足している。自分は粟も水もかえずに書斎へ引っ込んだ。
--おわり--