▲ | 326 | 0 | 0 | 00:00 | ▼ |
文字数 | 入力 | 誤字 |
我々にとっては実際馬鹿げたことだ。我々は靖国神社の下を電車が曲がるたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、ある種の人々にとっては、そうすることによってしか自分を感じることが出来ないので、我々は靖国神社についてはその馬鹿らしさを笑うけれども、ほかの事柄について、同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。そして自分の馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。宮本武蔵は一乗寺下り松の果たし場へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって思わず拝みかけて思いとどまったというが、われ神仏をたのまずという彼の教訓は、この自らの性癖に発し、また向けられた悔恨深い言葉であり、我々は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを意識しないというだけのことだ。--おわり--
▲ | ▼ |