琴のそら音 43/57 (夏目漱石)
355 0 0 00:00
文字数 入力 誤字
この場所に読みがなや入力のヒントが表示されます
合わす瞳の底に露子の青白い肉の落ちた頬と、窪んで硝子張りのように凄い眼がありありと映る。どうも病気は治っておらぬらしい。しらせはまだ来ぬが、来ぬと言う事が安心にはならん。今に来るかも知れん、どうせ来るなら早く来れば好い、来ないか知らんと寝返りを打つ。寒いとは言え四月と言う時節に、厚夜着を二枚も重ねて掛けているから、ただでさえ寝苦しいほど暑い訳であるが、手足と胸の中は全く血の通わぬように重く冷たい。手で身のうちを撫でてみると膏と汗で湿っている。皮膚の上に冷たい指が触るのが、青大将にでも這われるように厭な気持ちである。ことによると今夜のうちに使いでも来るかも知れん。
 突然何者か表の雨戸を破れるほど叩く。そら来たと心臓が飛び上がって肋の四枚目を蹴る。何か言うようだが叩く音と共に耳を襲うので、よく聞き取れぬ。
--おわり--