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「僕はそこの音楽学校にかれこれ八年います。なかなか卒業できない。まだいちども試験というものに出席しないからだ。ひとがひとの能力を試みるなんてことは、君、容易ならぬ無礼だからね」「そうです」
「と言ってみただけのことさ。つまりは頭がわるいのだよ。僕はよくここにこうして座りこみながら眼のまえをぞろぞろと歩いて通る人の流れを眺めているのだが、はじめのうちは堪忍できなかった。こんなにたくさんひとがいるのに、誰も僕を知っていない、僕に留意しない、そう思うと、――いや、そうさかんに相槌うたなくたってよい。はじめから君の気持ちで言っているのだ。けれどもいまの僕なら、そんなことぐらい平気だ。かえって快感だ。枕のしたを清水がさらさら流れているようで。あきらめじゃない。王侯のよろこびだよ」ぐっと甘酒を飲みほしてから、だしぬけにひき茶の茶碗を私の方へのべてよこした。
--おわり--
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