途上 34/39 (谷崎潤一郎)
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今度こそ夫の計略は十二分に功を奏しかかったのです。夫は彼女の枕許で彼女が夫の不注意からこういう大患になったことを謝りましたが、細君は夫を恨もうともせず、どこまでも生前の愛情を感謝しつつ静かに死んでいきそうにみえました。けれども、もう少しというところで今度も細君は助かってしまったのです。夫の心になってみれば、九仞の功を一簣にかいた、――とでも言うべきでしょう。そこで、夫はまた工夫を凝らしました。これは病気ばかりではいけない、病気以外の災難にも遭わせなければいけない、――そう考えたので、彼は先ず細君の病室にあるガスストーブを利用しました。その時分細君は大分よくなっていたから、もう看護婦も付いてはいませんでしたが、まだ一週間ぐらいは夫と別の部屋に寝ている必要があったのです。で、夫はある時偶然にこういうことを発見しました。――細君は、夜眠りにつく時は火の用心をおもんばかってガスストーブを消して寝ること。ガスストーブの栓は、病室から廊下へ出るしきい際にあること。細君は夜中に一度便所へ行く習慣があり、そうしてその時には必ずそのしきい際を通ること。
--おわり--