智恵子抄 抜粋 (高村光太郎) | 入力文の数= 12 |
高村光太郎は明治~昭和初期に活躍した詩人・彫刻家・画家。昭和16年の詩集「智恵子抄(ちえこしょう)」では死別した妻への純粋な愛情をうたいました
- IA00675 (2020-03-06 評価=5.00)
高村光太郎が智恵子と知り合った時、智恵子には婚約者がいました。「人に」はその時の気持ちをうたった「智恵子抄」冒頭の詩です。(明治45年7月) - IA00676 (2020-03-06 評価=5.00)
智恵子と知り合った翌年、芸術家としての孤独な立場に悩みもあった光太郎は、智恵子に対する想いがますます強くなっていきます。(大正2年3月) - IA00678 (2020-03-07)
「僕はあなたをおもうたびに 一ばんじかに永遠を感じる」世間の目も気にせず、光太郎は熱烈に愛の言葉を語ります。(大正2年12月) - IA00679 (2020-03-07)
「僕が活力にみちてる様に あなたは若々しさにかがやいている」世間の目も気にせず、光太郎は熱烈に愛の言葉を語ります。(大正2年12月) - IA00687 (2020-03-08 評価=5.00)
智恵子の実家のある二本松市を訪れたときの光太郎の詩。冒頭の短歌は、近くの安達が原を二人で散策した時に詠んだ短歌です。(大正12年3月) - IA00688 (2020-03-08)
智恵子の実家は造り酒屋で、白壁の酒蔵がいくつもありました。芸術活動に苦悩していた光太郎は、この旅行で創作意欲をかきたてられたようです。(大正12年3月) - IA00680 (2020-03-09 評価=3.66)
二人が一緒になって13年、43歳の光太郎は妻智恵子(40)を大胆に賛美します。(昭和2年1月) - IA00681 (2020-03-09 評価=4.28)
高村光太郎が妻智恵子との会話をモチーフに作った詩。発病の前年に智恵子が見たいと言った「ほんとの空」。真実の意味は何だったのでしょう。(昭和3年5月) - IA00682 (2020-03-10 評価=5.00)
ある夏の日、アトリエで光太郎が粘土細工、智恵子が機織りをしています。二人の平和で楽しそうな情景が目に浮かびます。(昭和3年8月) - IA00683 (2020-03-10)
智恵子は精神の病のため、九十九里浜近くに転地療養しました。九十九里浜には、この詩の詩碑が建っているそうです。(昭和12年7月) - IA00684 (2020-03-14 評価=5.00)
智恵子は死の床でレモンを求め、がりりと噛むと一瞬精神病が改善したかのように見えました。智恵子抄の中でも特に有名な妻の死を描いた詩です。(昭和14年2月)