坂口安吾が膨大な資料を読み込み、京への上洛後までの信長史を掘り起こした傑作短編。エピソード満載で、コスパよく信長通になれる作品です
- IA03440 (2023-05-02 評価=4.00)
今川義元は名将で天下統一の候補者で軍勢四万、信長は小大名の奉行の倅で軍勢三千ほど。だが信長は人為はつくしており、結果はどうあれ最後は時の運、悔いはなかった - IA03441 (2023-05-02 評価=5.00)
今川軍は織田方の丸根・鷲津砦に迫ったが、信長は軍評定もしない。家来らはバカ大将も今日が最後、と嘲弄した。だが翌未明、今川攻撃の報が来ると信長は敦盛の舞いを始めた - IA03442 (2023-05-03 評価=5.00)
信長は舞いながら具足をつけ、食事をしてカブトをかぶり出陣した。その時従った家来はわずか五騎。信長は家来を待ちながら進み、熱田に着いた時雑兵は二百余人に増えていた - IA03443 (2023-05-03 評価=5.00)
砦の兵も加わった総勢三千人ほどの織田勢は、勝ち祝い中の今川軍を奇襲、義元を討ち取った。こんな風に家来たちは信長にひきずり回されたので、彼の偉さが理解できなかったのだ - IA03444 (2023-05-04 評価=5.00)
信長はいわば戦の専門家で、すべて組み立てていた。機械のような合理性は家来には理解できない。信長は16歳の時、父の葬儀で身なりを整えずに現れ、お香を投げつけたという - IA03445 (2023-05-04 評価=4.00)
信長は、死者はただの白骨という真相を直視していた。また、信長は大ウツケ者という定評ではあったが、諌言の遺書を残して自殺した老臣平手中務のマゴコロは信じた - IA03446 (2023-05-05 評価=4.00)
平手は狂態の変わらない信長の未来を按じ、隣国美濃の斎藤道三の娘を信長とめあわせた。当時悪逆無道で有名だった道三は、浪士の家に生まれたものの、坊主に出された - IA03447 (2023-05-05 評価=5.00)
だが、道三は坊主がイヤになって還俗し、女房をもらって油の行商をはじめた。辻に立ち人を集めて、得意のオシャベリで油を売った。テキヤである - IA03448 (2023-05-06 評価=5.00)
金を得た道三は、長井の家来となって長井を殺し、さらにその主人の土岐氏を追放して美濃の主となった。また彼は兵法に達者で、長槍や鉄砲の利をさとり、砲術に心をくだいた - IA03449 (2023-05-06 評価=5.00)
道三の娘は信長と結婚したものの、道三は信長がウツケという評判を、そのままウノミにはしなかった。信長は乞食のような格好で瓜や餅をほおばりながら歩いているという - IA03450 (2023-05-07 評価=4.00)
葬式で抹香を投げるのはバカだが、信長は水練・乗馬・砲術に熟練し、長槍の利得を見ぬく曲者だ。そこで道三は信長に、国境いの正徳寺で会見しようと申し入れた - IA03451 (2023-05-07 評価=5.00)
道三は人物を判断しようと思っていたが、からかう気持ちも強く、寺の前に数百人の侍と大僧を並ばせた。大勢の供を連れた信長の一行がやって来ると、彼は汚い姿のままだった - IA03452 (2023-05-08 評価=5.00)
頭もフンドシカツギで猿回しのようだ。道三は正体を見とどけたと思って正徳寺へ戻る。ところが信長は休憩用の寺で髪をゆい直して正装に着替え、見事な殿様姿で現れたのだ - IA03453 (2023-05-08 評価=5.00)
信長は案内を無視して縁側に上がり、出て来た道三を侍臣が紹介すると、信長は「デアルカ」と言った。二人は座敷で対面し盃を交わした後、別れ際道三は信長を2キロほど見送った - IA03454 (2023-05-09 評価=5.00)
家来が道三に感想を尋ねると、道三は「オレの子供のバカどもは信長の馬のクツワを引くことになるだろう」と仏頂面で答えた。道三は素直だったので信長の人物を見抜けたのだ - IA03455 (2023-05-09 評価=4.00)
論理の発想の根本が違っているから、信長の家来には信長を理解できなかった。武田信玄は清洲から天沢という坊主が関東に下向した時、信長がどういう男か尋ねたことがある - IA03456 (2023-05-11 評価=4.00)
天沢は、舞と小唄を町人の友閑に習っており、「敦盛」を謡って舞うことが好きなことを伝えた。そして天沢は信玄の求めに応じ、トンチンカンな小唄を唄ってきかせた - IA03458 (2023-05-12 評価=4.00)
信玄は、天沢の話から正確な信長像を得たであろうか。信玄には信長の好奇心を、単なる好奇心としてしか理解できない盲点があり、信長を正解しえたとは言えないだろう - IA03459 (2023-05-12 評価=5.00)
信玄は信長が科学する魂を持つことを理解していなかった。信長にとって死は定められたものであり、戦死と蛇にかまれる死の間に差がなく、生が何ものなのかよく知っていた