北陸から帰る汽車で出会った、押し絵を窓に立て掛ける男。年齢不明の彼は不可思議な物語を私に語り始めた。江戸川乱歩エッセンス満載の傑作ホラー
- IA02860 (2022-08-14 評価=5.00)
目を離すと、老人が「不思議そうな顔をしていますね」と言った。私が老人の手真似に従い向かいの席に座ると、「あれらは、生きておりましたろう」と囁いた - IA02861 (2022-08-15 評価=5.00)
老人が「あれらの、本当の身の上話を聞きたくありませんか」と尋ねた。私が希望すると、老人は世にも不思議な物語を始めたのである - IA02862 (2022-08-15 評価=5.00)
老人は押し絵の老人を指さして言った。「兄は外国船の船長から高値で遠眼鏡を購入したりする新しがり屋でしたが、明治28年4月27日の夕方、あんなになりました」 - IA02863 (2022-08-16 評価=5.00)
老人は本当の兄と、押し絵の白髪の老人とを混同しているかのような話し方だった。「あなたは浅草の十二階建ての凌雲閣に昇ったことがないのですね、それは残念だ - IA02864 (2022-08-16 評価=5.00)
大道芸や見世物が多かった当時の浅草公園に、80メートル以上の塔ができたのです。驚くじゃござんせんか。その頃、遠眼鏡を手に入れた兄に妙な事が起こって心配していました - IA02865 (2022-08-17 評価=5.00)
兄は食事もろくに食べず、一室に籠もって痩せてしまいました。しかし毎日欠かさずどこかへ出掛けるんです。それがひと月も続いた頃、私は母の依頼で兄の後をつけました - IA02866 (2022-08-17 評価=5.00)
兄が上野行き馬車鉄道に乗り込んだので、私は小遣いをふんぱつして人力車であとをつけました。兄が馬車鉄道を降り、歩いて行きついた所は、浅草の観音様じゃございませんか - IA02867 (2022-08-18 評価=5.00)
兄は仲店から、お堂裏の見世物小屋の間を通り、凌雲閣の額のかかった入り口から塔の中に姿を消しました。私も一階位おくれて、薄暗い石の段々を昇って行きました - IA02868 (2022-08-18 評価=4.50)
日清戦争の当時ですから、毒々しい血みどろの戦争油絵が壁に並べられていて、変てこれんな気持ちでした。頂上は八角形の欄干だけの見晴らしの廊下で、明るくなっていました - IA02869 (2022-08-19 評価=5.00)
見渡すと東京中の屋根が見えるようです。兄は離れた場所に一人立って、遠眼鏡で浅草の境内を眺め回しており、雲を背景にした背広姿の兄は油絵の人物のように見えました - IA02870 (2022-08-19 評価=5.00)
私が『何を見ているのですか』と尋ねると、気まずい顔をしていましたが、繰り返し頼むと根負けして、とうとう一ヶ月来の胸の秘密を私に話してくれました - IA02871 (2022-08-20 評価=5.00)
兄によると、一月ばかり前に遠眼鏡で境内を眺めていたら、この世のものとは思えない美しい娘がいて、心を乱されたそうです。しかし一目見ただけで、もう見つかりません - IA02872 (2022-08-20 評価=5.00)
兄はこの美しい娘が忘れられず、また観音様の境内を通りかかることもあろうかと、毎日勤めの様に十二階に昇っては、眼鏡を覗いていた訳です - IA02873 (2022-08-20 評価=5.00)
兄のうしろに立っていますと、むら雲の中に兄の洋服姿が絵の様に浮き上がって、兄の体が宙に漂うかと見誤るばかりでした。そこへ色とりどりの無数の玉が昇って行きました - IA02874 (2022-08-21 評価=5.00)
風船屋が誤って風船を一度に空へ飛ばしたようです。ちょうどその時、兄は興奮した様子で、いつかの娘さんが青畳を敷いた座敷に座っていた、これから行こう、と言うのです - IA02875 (2022-08-21 評価=5.00)
しかし、兄が見当をつけた場所を探しても、家すらなく狐につままれた様な塩梅です。その辺の茶屋で尋ね回り戻って来ると、兄が覗きからくり屋の覗き眼鏡を覗いています - IA02876 (2022-08-21 評価=5.00)
兄は夢を見ている様子で『私達が探していた娘さんはこの中だ』と申すのです。覗いてみると「八百屋お七」の覗きからくりで、お七が恋人にしなだれかかっているところでした - IA02877 (2022-08-22 評価=5.00)
覗き絵の人物は押し絵で、お七の顔は綺麗で、名人の作か生きている様に見えました。兄は「こしらえものと分かってもあきらめられない」と言って、動こうとしません - IA02878 (2022-08-22 評価=5.00)
兄は一時間くらいも立ちつくしていました。日が暮れ切ってガス灯が点灯された時分に、兄は突然私の腕をつかんで『遠眼鏡をさかさまにして見てくれないか』と言い出しました - IA02879 (2022-08-22 評価=5.00)
私は小さい物が遠くの物が大きく見える、お化けじみた作用が薄気味悪く、眼鏡類を余り好まなかったのですが、兄の頼みですので、遠眼鏡をさかさにして兄を覗いてみました