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じいさんばあさん (森鴎外) 15分割入力文の数= 15

空き家に越してきた仲の良い老夫婦。だが、彼らには外見からは想像もできない壮絶な過去があった…。驚きと感動が交錯する森鴎外珠玉の名編!

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  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    359
    IA03614 (2023-07-30 評価=3.00)

    文化六年(1809)の春、三河国の松平家の家中で宮重久右衛門という人が空き家を修復していた。その後、4月5日に田舎にいた久右衛門の兄がその家に引っ越してきた
  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    306
    IA03615 (2023-07-30 評価=4.00)

    この爺さんは刀を挿した姿も立派で田舎者らしくない。その二三日後、これも品格のよい婆さんが来て同居し、二人の食事を作るようになった。二人の仲のよさは無類である

  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    376
    IA03616 (2023-07-31 評価=3.50)

    二人は富裕には見えないが、不自由はなさそうで、兄妹ではないか、という者もいた。婆さんは元御殿女中という噂があったが、二人で隠居らしい気楽な生活を楽しんでいた
  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    347
    IA03617 (2023-07-31 評価=3.00)

    二人は早朝出かけることもあり、久右衛門の女房は生きていれば三十九になる息子の菩提寺へ行ったと話した。近所のものは過ぎ去った昔の夢の跡をたどるのだろう、と察した

  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    449
    IA03618 (2023-08-01 評価=3.50)

    年末、婆さんが将軍徳川家斉から「永年離れていた夫に貞節を尽くした」として銀十枚をもらったことで、この二人(美濃部伊織七十二歳、るん七十一歳)は世間で評判になった
  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    407
    IA03619 (2023-08-01 評価=3.00)

    ■ 明和三年(1766)、大番頭石川阿波守総恒の組にいた伊織は剣術・書道に優れ和歌もたしなんでいた。伊織30歳の時、叔母婿の山中藤右衛門が妻を世話した。それが、るんである

  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    425
    IA03620 (2023-08-02 評価=4.00)

    るんは14歳から14年間、尾州家に奉公していたが、その後妹の嫁ぎ先の有竹家で手助けをしていた。そこで、藤右衛門が口をきいて、るんは有竹家を親元として伊織に嫁入りした
  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    443
    IA03621 (2023-08-02 評価=3.00)

    伊織はかんしゃく持ちではあったが武芸・学問に長けて美男で、るんは夫を好いて大切にした。さて明和五年(1770)、伊織は病気の弟に代わり松平石見守に付いて京都に行くことになった

  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    412
    IA03622 (2023-08-03 評価=5.00)

    伊織は臨月のるんを江戸に残し京都へ立った。その年の秋、伊織は刀剣商で古刀が気に入り、百三十両のうち同僚の下島甚右衛門に三十両借金して購入し、こしらえ(外装)も直した
  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    422
    IA03623 (2023-08-03 評価=5.00)

    伊織は親しい友人を招いて刀を披露したが宴席に下島がやって来て、刀は大切な品だが外装修理は贅沢だし、借金のある身で刀を披露したり月見をするのは不心得だと難癖をつけた

  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    425
    IA03624 (2023-08-04 評価=5.00)

    伊織の今日は帰ってほしい、という言葉に下島は顔色を変え、前の膳を蹴返して「たわけ」と叫んだ。伊織は激昂し、抜刀して下島の額を切った。下島も刀を抜いたが玄関へ逃げた
  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    376
    IA03625 (2023-08-04 評価=5.00)

    伊織の前に、下島の仲間が立ちふさがったが、腕を切られて後へ引く。ようやく客の柳原小兵衛が伊織を制止すると、伊織は目に涙を浮かべて、乱れた心を和歌によんだ

  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    317
    IA03626 (2023-08-05 評価=4.00)

    下島は傷が重く二三日後に死んだ。伊織は江戸へ護送されて解任され、有馬家お預かりの上、越前国に流罪となった。美濃部家の家族は親類が引き取ったが母親は二年程で死んだ
  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    296
    IA03627 (2023-08-05 評価=4.00)

    その後、息子の平内は五歳の時流行の疱瘡で死んだ。義母も息子も力の限り看病したるんは、一生武家奉公をしようと考え、紹介を得て筑前国福岡の黒田家で働くことにした

  • ハ-トウォ-ミング
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    346
    IA03628 (2023-08-06 評価=4.00)

    るんは31年間黒田家で働いて退職し、伊織は文化六年(1809年)将軍追悼の際罪を許され、江戸に帰ることになった。そして、二人は竜土町の家で再会したのである