明治初頭の日本、上陸をめぐり多数のフランス水兵が死亡した。激怒した公使ロッシュは強硬な処断を要求したが……。実際の事件を描く森鴎外の本格歴史小説
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だが、彼らは呼び出され、流刑が仰せ付けられた。そのため九人はフランス人の要求で死のうとしたので士分の扱いを受けた、助命されると流刑になるのは納得できないと申し立てた - IA04281 (2024-09-30)
だが目付は、死んだ11人の苦痛に準ずるご処分であるから、請けてほしいと説得され、彼らは受け入れた。そして配所の入田村(土佐)で農家等に引き取られると、村民への文武教育を行った - IA04282 (2024-10-01)
その後、川谷は時疫に感染し病死した。その二か月後、残った八人は呼び出されて高知に出向き、明治天皇の即位の恩赦で自宅に帰ることが許された - IA04283 (2024-10-01)
宝珠院にある死んだ11人の石碑は「御残念様」、生き残った九人の伏せた大瓶(棺用のカメ)は「生き運様」と呼ばれ、参詣するものが後を絶たなかった。
「堺事件」 森鴎外作 1914(大正3)年