耳無芳一の話 (小泉八雲作 戸川明三訳) 19分割 | 入力文の数= 19 |
盲目の琵琶の名手芳一(ほういち)。彼は、ある夜武者に請われて高貴な人に琵琶の演奏を行うのだが……。小泉八雲「怪談」の有名な一編です
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平安時代末期、下関海峡壇ノ浦で行われた平家と源氏の最後の戦闘により、平家は幼帝の安徳天皇と共に滅亡した。その海と浜辺は700年間その怨霊に祟られている - IA04840 (2025-09-29) NEW
死者を慰めるために阿弥陀寺と墓地、石碑が海岸に設けられ、法会も行われていた。さて幾百年か以前、この地に芳一(ほういち)という琵琶の得意な盲人が住んでいた - IA04841 (2025-09-30) NEW
彼は本職の琵琶法師として平家と源氏の物語の琵琶の演奏と歌で有名であった。阿弥陀寺の住職の好意で、芳一は寺に住み、時折住職に琵琶を奏していた - IA04842 (2025-09-30) NEW
ある暑い晩、芳一が縁側で涼んでいると、裏門から足音が近よって来た。そして彼を『芳一!』と命令を下すような声で呼んだ - IA04843 (2025-10-01) NEW
声の主は『拙者の殿様は高い身分の方で、お前の壇ノ浦の戦争の話が上手との噂を聞いて、演奏をご所望である。来てもらいたい』と言った。芳一は了承し、侍の手引きに従った - IA04844 (2025-10-01) NEW
武者は甲冑を着た衛士らしく思われた。芳一は殿様は一流の大名と考え、光栄なことだと思った。やがて立ち止まり「開門」と呼んで中に入ると、家の召し使いらしき大勢の物音が聞こえた - IA04845 (2025-10-02) NEW
芳一は大勢の人が集まった広い部屋に案内された。芳一が座蒲団に座り、琵琶の調子を合わせると、女中頭と思われる老女が『平家の物語をご所望でございます』と言った - IA04846 (2025-10-02) NEW
芳一がどの部分かを尋ねると、女は『壇ノ浦の戦をお語りなされ』と答えた。芳一が声色を使い分け、矢や刃の音等をまじえて烈しい海戦の歌をうたうと、賞讃の声が囁かれた - IA04847 (2025-10-03) NEW
婦人と子供の哀れな最期のくだりでは、みな苦悶の声をあげ、なげき悲しんだ。老女らしい女が言った。『これほどの腕前とは思いませんでした。殿様は十分なお礼をするそうです - IA04848 (2025-10-03) NEW
これから六日間、毎晩演奏してください。ただ、殿様のお忍び旅行ですので、今回の事はいっさい口外しないでください』 女の言葉に芳一は感謝の意を述べ、家来に連れられて寺に戻った - IA04849 (2025-10-04) NEW
芳一は住職にその事を話さず、また翌日の夜中に吟誦しに行った。だが二度目は住職に見つけられ、翌朝どこへ行ったのか尋ねられた。だが芳一は私用だと、言い逃れた - IA04850 (2025-10-04) NEW
住職はよくない事があるようと感じ、寺の下男に芳一が寺を出て行くようななら、後をつけるように言いつけた。だが翌晩、芳一が出かけたので下男達は後をつけたが、見失ってしまった - IA04851 (2025-10-05) NEW
そのうち、男達は阿弥陀寺の墓地から聞こえる琵琶の音に気づき、驚いた。たくさんの死者の霊火が燃える中、安徳天皇記念の墓の前で芳一が曲を誦していた。一同は彼に声をかけた - IA04852 (2025-10-05) NEW
芳一は邪魔を怒ったが、一同は芳一を寺へつれ帰った。芳一は住職に説明を求められ、長い間躊躇していたが、とうとういっさい物語った。住職は言った『お前の身は大変に危うい - IA04853 (2025-10-07) NEW
お前は安徳天皇の墓の前に座っていたのだ。お前は殺されないよう、お前の身体に経文を書かねばならない』と住職は言って、日没前に芳一を裸にして身体中にお経の文句を書きつけた - IA04854 (2025-10-07) NEW
住職は『お前は縁側に座り、返事をしたり、動いてはならない。さもないとお前は切りさいなまれてしまう』と言って出掛けた。芳一は縁側に座り、静かにしていると、足音が聞こえてきた - IA04855 (2025-10-08) NEW
『芳一!』と声が呼んだが、芳一は動かずに座っていた。三度呼んだ後、足音は芳一の傍に来て『琵琶はあるが、誰もおらず、耳が二つあるばかり。殿様へこの耳を持って行こう』と言った - IA04856 (2025-10-08) NEW
芳一の耳は引きちぎられた。足音は消え、芳一の頭の両側からは温かいものが滴った。日の出前に住職は帰って来たが、驚いた住職が『可哀そうに』と声を立てると、芳一は泣き出した - IA04857 (2025-10-09) NEW
住職は悔やんだが、危険が去った事は喜んだ。以後芳一は有名になり、耳無芳一と呼ばれるようになった
「耳無芳一の話」小泉八雲作 戸川明三訳(明治37年)