明治時代の東京郊外。国木田独歩(くにきだどっぽ)が武蔵野を散策しながら情景をつづります。少々入力は難しいものの、昔の情景や環境、暮らしに思いを馳せる事のできる優れた自然文学作品です
- IA03344 (2023-03-20 評価=3.00)
■一 自分は、武蔵野の古い地図を見て古戦場があることを知り、現在の武蔵野がどのようになっているのか知りたいと思っている - IA03346 (2023-03-21 評価=4.00)
■二 自分は渋谷村の小さなかやぶき家に住んでいたが、材料不足なので日記を種にしてみたい。明治30年9月7日「昨日も今日も南風強く吹き…」これが今の武蔵野の秋の初めである - IA03347 (2023-03-22)
そこで、武蔵野の秋から冬の終わるまでの日記を示しておきたい。9月19日~11月19日の日記。(*日記は文語体なので入力難度はかなり高い) - IA03349 (2023-03-23)
12月22日~明治30年3月21日までの日記。3月21日には「春や襲いし、冬やのがれし」(*日記は文語体なので入力難度はかなり高い) - IA03350 (2023-03-23 評価=3.00)
■三 昔の武蔵野はすすきが広がっていたようだが、今は林が特色である。自分は東京に来て、落葉林の美を知ることができた。落葉林の美を教えてくれた以下の文章を引用する - IA03351 (2023-03-24 評価=4.00)
秋の小雨の中、林の中で座っていた自分は、気まぐれな空模様を見ながら季節を感じ、木の葉のしめやかな私語の声を聞き取っていた - IA03352 (2023-03-24 評価=4.00)
小雨が降り続くと木々や地面に表情を与え、季節の移り変わりを感じさせる。樺の幹が光沢を帯びたり、落ち葉が金色に輝いたり、雨で急に薄暗くなり物の模様も見えなくなる - IA03353 (2023-03-25 評価=4.00)
これは、ツルゲーネフの小説「あいびき」の冒頭の一節で、樺の木の落葉林の美しさを描写したものだが、色彩に変化のある落葉林の趣きは、武蔵野の林でも同じだと思う - IA03354 (2023-03-25 評価=4.00)
落葉し、こがらしが吹くと、木の葉は大空に舞う。落ちつくすと林は裸体となり武蔵野は沈静に入り、空気が澄みわたる。「耳を傾けて聞く」ことが今の武蔵野の心にかなう - IA03356 (2023-03-27 評価=3.00)
秋の中ごろから冬の初め、中野あたり、渋谷、世田谷、または小金井の奥の林を訪れ、座って散歩の疲れを休めると、木の葉が落ちる音がする。風の音は人の思いを遠くに誘う - IA03357 (2023-03-28 評価=4.00)
林の中で日の光の美しさを感じるのは、春の末から夏の初めと黄葉の季節である。日の光は風に動く葉によって砕け、夕方の平原の林は一面に火花を放つようで特異な美観である - IA03358 (2023-03-28 評価=4.00)
■四 今一度ツルゲーネフを引用する。「自分は花束を拾い、林を出た。ゆうやけが地平を染め、強風で落ち葉が舞い上がり、周囲の草や蜘蛛の巣が風で波たっていた(続く) - IA03359 (2023-03-29 評価=4.00)
(続き)小心なカラスが風を切りながら、頭上を飛び過ぎた。鳩が群れをなして野面に散った―ああ秋だ!」 これはロシアの野だが、武蔵野の秋から冬の光景もこれに近い - IA03360 (2023-03-29 評価=4.00)
武蔵野の地域には、水田が多く、高台には畑や林がある。畑は野であり、林と畑が混在し、農家が点在している。この風景が、自然と生活が共存する武蔵野の特色である - IA03361 (2023-03-30 評価=3.00)
秩父の山々の嶺が見える高台で、畑や林、尾花野菊や萱原を眺めていると、どこに行こうか悩むこともある。が、自分はどの路を選んでも失望しないことを知っている - IA03362 (2023-03-30 評価=4.00)
■五 友人の手紙に「何百年も昔から、同じ道を行きながら出会わない人々もいれば、異なる道を行きながら出会う人々もいる」と書いてあった。確かに武蔵野にはさまざまな路がある - IA03363 (2023-03-31 評価=3.00)
武蔵野の路で迷っても構わない。路を歩くことで、春夏秋冬の美しい景色や独自の文化が発見できる。生活と自然との共存は、武蔵野の特徴の一つだ。(鉄腕アトムで引用された部分)