坂口安吾が膨大な資料を読み込み、京への上洛後までの信長史を掘り起こした傑作短編。エピソード満載で、コスパよく信長通になれる作品です
- IA03420 (2023-04-22 評価=4.00)
大納言、万里小路惟房(までのこうじこれふさ)は、立入左京亮(たてりさきょうのすけ)に信長宛に天皇の綸旨(命令書)を書くよう提案され困惑した。三好・松永を怖れていたからだ - IA03421 (2023-04-23 評価=4.00)
実際朝廷の困窮はひどく、後日、信長が米を町民に貸し、利息米を朝廷の経済に当てる方法を施したり、天皇が子女を寺に入れ、対価として月々年々の扶持を受ける程だった - IA03422 (2023-04-23 評価=3.00)
万里小路惟房は迷ったが、綸旨を書いて立入に渡すと、天皇は彼らに感謝した。立入は道案内の磯貝と道家(どうけ)尾張守の邸に鷹狩りで来ていた信長を訪ねたが、信長は不在だった - IA03423 (2023-04-24 評価=5.00)
二人は信長を待つ間に綸旨と奉書を道家に手渡した。道家は天下は信長のものになったと喜び、女房の安井にも身なりを整えるよう指示し、信長の帰りを待った - IA03424 (2023-04-24 評価=5.00)
信長は戻ると風呂に入り、勅使や衣服の準備等について質問した。道家は当初日本国を譲るような重要な内容の綸旨と考え喜んだが、経済的援助を求めるだけのものだった - IA03425 (2023-04-25 評価=4.00)
しかし信長は実力の判定を得たと解釈、豪華な酒宴を開き、二人に朝廷への金子(きんす)とミヤゲを持たせて帰らせた。この時信長34歳、彼は安直に天下を狙い始めた - IA03426 (2023-04-25 評価=3.00)
28歳の時信長は鷹を進上された際「天下をとったら礼をする」と言って、人々に大言壮語をおかしがられた事があった。野心は誰でも持てるが、自信はそれにともなうものではない - IA03427 (2023-04-26 評価=4.00)
信長は武器を鉄砲に変えて天下統一に成功した。だが彼は餓鬼大将でウヌボレはあるものの、自信を持つためには他人からの絶対的な認められ方を必要としていた - IA03428 (2023-04-26 評価=5.00)
信長29歳の時に、又左衛門という者が池で大蛇を見たという話が伝わった。信長は正月にもかかわらず自ら潜り、かつ水泳の達人にも潜らせたが、見つからなかったという - IA03429 (2023-04-27 評価=4.00)
こういう実証精神は信長の持ち前で、黒人の体を洗わせたり、不思議の術を施す僧の化けの皮をはいだりした。だが、信長の偉さは家臣や百姓にはわからなかったに相違ない - IA03430 (2023-04-27 評価=5.00)
28歳の時には80人の家来を連れて京都旅行をした。この時の彼の行動は評価が二分するが、その際信長をねらう数十名の刺客に気づき、彼らの宿屋を訪れて怒鳴りつけた - IA03431 (2023-04-28 評価=4.00)
彼は見物した後、山道を昼夜兼行で強行帰城し、その後美濃から斎藤氏を追い払ったのである。まだ多くの強敵がいたが、そこへ朝廷からの綸旨で天下の大将の一人の公認を得た - IA03432 (2023-04-28 評価=5.00)
朝廷は権威だけで力を持たない虚器であり、足利将軍家は老蝮、松永弾正の言いなりである。借用状でしかない綸旨に力はないが、信長の慧眼は虚器の利用価値を見抜いた - IA03433 (2023-04-28 評価=5.00)
信長はまだ真に自信は持てなかったが、一年のうちに将軍義昭が彼を頼り、松永弾正も上洛の助力を申し出てきた。弾正は主を殺し天下の執政に納まっていたが、味方がなかった - IA03434 (2023-04-29 評価=4.00)
老蝮の松永弾正は、信長を次世代をになう存在と見抜いた上で依存したが、足利義昭は生家の地位を看板に、誰彼の見境なく依存した。ただ利用できればよかったのである - IA03435 (2023-04-29 評価=5.00)
信長も老蝮も悪党ぶりに変わりない。老蝮が将軍を殺したのに対し、信長が将軍を殺さなかったのは、自立する際殺す必要がなかっただけで、人を殺す上ではむしろ冷酷だった - IA03436 (2023-04-30 評価=4.00)
信長は義昭を信じなかったが、老蝮の松永弾正には妙な信義を持ち、老蝮の信義は信じた。信じることにより、信長は老蝮に勝ち征服したのである - IA03437 (2023-04-30 評価=5.00)
義昭は信長の助力により京都を回復し、将軍家を再興した。とはいえ京都を守っていた老蝮自身が、その日を予想し信長を手引きしていたのである。総大将の裏切りは降参である - IA03438 (2023-05-01 評価=5.00)
降参した老蝮は信長に京都の治安などについて献策した。義昭は老蝮を殺せなかったが、将軍位についた。このとき義昭の部下だった明智光秀は義昭の推挙で信長の家来となった - IA03439 (2023-05-01 評価=5.00)
★ 信長とは何者か家来にも分からない。信長はケンカ好きで水練・馬・鉄砲・兵法学習が日課としていたが、今川義元を破っても、家来たちはまぐれ勝ちの疑惑を強く持っていた