1891年に岐阜県で発生したM8.0の大地震。男はこの時妻を殺したのか? 再婚話が彼の心を苦しめる。芥川龍之介の深層心理を反映したとも言われる傑作
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10年余り前、私は講演を行うため岐阜県大垣町へ滞在した。その際、普通の旅館を避けて素封家の別荘に宿泊したが、そこで耳にした悲惨な出来事のてん末を話そうと思う - IA03632 (2023-08-07 評価=5.00)
私の部屋は落ち着いた八畳間で、毎日午前中講演に行き、午後と夜はこの座敷で泰平に過ごす事ができた。午後は時折来る訪問客に気がまぎれるが、夜は寂しく感じる事もあった - IA03633 (2023-08-08 評価=3.00)
床の間には青銅の瓶と楊柳観音の軸があり、線香が匂っているような心もちがした。私はよく早寝をしたが、すぐ眠れるわけでもなく、夜鳥の声で住居の天守閣を想像した - IA03634 (2023-08-08 評価=3.00)
講演日数が終わろうとする夜、私が書見にふけっていると、奥のふすまがあいた。奥には四十恰好の男がきちんと座っており、私が驚くと彼は次のような言葉を述べた - IA03635 (2023-08-09 評価=4.00)
彼はまず非礼を詫び「お願いしたい儀がある」と言った。彼は年配で品がよく、半分白髪で正装の和服を着用していたが、私は彼の左手の指が一本欠けているのに気付いた - IA03636 (2023-08-09 評価=4.00)
私は少々唐突な訪問に腹立たしく思っていたが、男が「私は中村玄道と申し、毎日先生のご講演を伺いに出ております。ご指導お願いします」と言ったので、彼の来意がのみこめた - IA03637 (2023-08-10 評価=4.00)
男は自分の身のふり方について意見を承りたい、と前置きしてから「今から二十年ばかり以前、思いもよらない出来事に出合い、自分がわからなくなってしまったのです」と言った - IA03638 (2023-08-10 評価=3.00)
私は躊躇したが、男は「是非の判断は伺わなくても構いませんので、私の頭を悩ます問題の苦しみだけでもお耳に入れて、私自身の心やりにしたいのです」と嘆願するように言った - IA03639 (2023-08-11 評価=4.00)
私がわざと気軽な態度を装い「とにかく話だけ伺いましょう」と言うと、男は「私には本望すぎるくらいです」と感謝しながら、抑揚に乏しい陰気な調子で話を始めた - IA03640 (2023-08-11 評価=4.00)
■(男の話) 濃尾大地震の起こった明治24年(1891)、私は二三年前に県の師範学校を首席で卒業しておりましたので、藩侯の建てたK小学校に月15円の高給で奉職しておりました - IA03641 (2023-08-12 評価=5.00)
私は2年前に結婚し、無口ですが素直な妻と二人、安らかな日々を過ごしていました。しかし、10月28日午前7時頃、私が井戸端、妻が台所にいる時に、地震で家がつぶれたのです - IA03642 (2023-08-12 評価=5.00)
地鳴りとともに家がかしぐと、私はひさしの下敷きになりました。はい出してみると、周囲は屋根が落ちた家々ばかり。さらに幾千人の人々が逃げ惑って騒然としているのです - IA03643 (2023-08-13 評価=5.00)
すぐ、妻の小夜が、梁に下半身を圧されて苦しんでいるのを見つけました。妻は「どうかして下さい」と訴えますが、梁を押したり引いたりしても、全く動きません - IA03644 (2023-08-13 評価=5.00)
そのうち、黒煙が私の顔へ吹きつけ始めました。私は妻を引きずり出そうとしましたが、動かせません。妻は血まみれの手で私の腕をつかみ「あなた」と一言申しました - IA03645 (2023-08-14 評価=5.00)
私は表情を失った妻の顔を見つめ、彼女は生きながら焼かれて死ぬのだ、と思いました。妻が「あなた」とまた言いました。その言葉に私は無数の意味と感情を感じたのです - IA03646 (2023-08-14 評価=5.00)
私は瓦を取り上げ、何度も妻の頭に打ち下ろしたのです。その後、私は火と煙に追われながらも生き残りましたが、夜炊き出しの握り飯を手にした時、とめどなく涙が流れました - IA03648 (2023-08-15 評価=5.00)
■ 私は妻の死を悲しみ、また親切な同情の言葉も受けましたが、妻を殺した事だけは口に出しませんでした。私の臆病が原因と思っていましたが、もっと深い所に原因がありました - IA03649 (2023-08-16 評価=4.00)
その原因は私に校長から再婚話が起こった時にわかりました。その再婚話の相手は、先生の宿泊されているこのN家の二番娘で、私が時々出稽古もしていた教え子の姉でした - IA03650 (2023-08-16 評価=5.00)
N家とは家格が違いますし、家庭教師だった事で、痛くない腹を探られるのもいやで私は一応辞退しました。が、校長はさまざまな理由を並べ立てて、根気よく私を説得しました