結核が進行し、死を意識しはじめた梶井基次郎の自伝的小説。絶望と焦燥感の中で、季節の変化を克明に描いた文学的評価の高い作品です
- IA03880 (2023-12-15 評価=3.00)
■一 冬至を過ぎ、堯(たかし)の下宿の窓の外は落ち葉が多くなった。堯の肺は痛み、痰(たん)に血が混じるようになっており、もう血痰を見ても、なんの刺戟も感じなくなっていた - IA03881 (2023-12-15 評価=4.00)
生きる熱意を感じなくなると、毎日が堯を引きずり、外界へ逃げようと焦りはじめた。11月の脆い陽ざしは、堯の心に墨汁のような悔恨やいらだたしさを感じさせた - IA03882 (2023-12-16 評価=4.00)
窓から見ると遠くの洋館に幽霊のような影が映っている。北隅の樫の並木が風を揺りおろすと、今にもその影がかき消されそうに見える。堯は絶望に似た感情で窓をとざしにかかった - IA03883 (2023-12-16 評価=4.00)
■二 堯は、母から妹の延子の死後、父が老い込んでしまった、という堯を気づかう手紙を受け取った。弟も延子も病気で死んだ。しかも二人とも死ぬ前に一年間寝たきりだった - IA03884 (2023-12-17 評価=5.00)
「今の一年は後の十年だ」と医者に言われた堯は、医者はなぜあと何年で死ぬとは言わないのだろうと思った。彼は家へ帰るか、街へ出るか考えながら駅で待ったが、電車は来なかった - IA03885 (2023-12-17 評価=4.00)
五六年前、死はただ遠くの悲しみとして存在するだけで、食事や安静に気を付ければよかった。だが美食や無為の生活が、生きていこうとする意志を彼からだんだん奪っていった - IA03886 (2023-12-18 評価=5.00)
科学的に死の徴候があらわれている、と堯が最初に告げられたとき、彼の頭はそれを受けつけられなかった。夜が更けて拍子木がきこえ出すと、堯は陰鬱な心の底で母を思った - IA03887 (2023-12-18 評価=4.00)
■三 籐の寝椅子で休んでいると、堯は垣根の陰で鳴いているウグイスの鳴き声を口まねした。谷の向こうの華族の庭には赤い蒲団が干してある。堯は早起きをしたことが気持ちよかった - IA03888 (2023-12-19 評価=4.00)
彼は郵便局に行くため家を出た。イチョウは黄色になりきり、白く長い煉瓦塀が冬の空気を映していた。堯は郵便局で人々が撒き散らす新鮮な空気に触れた後、細い坂を登って帰った - IA03889 (2023-12-19 評価=4.00)
遊んでいる四五歳の子供達が道に石墨で描いた絵があった。堯は、昔忘れ物をとりに学校から急いで家へ戻った時、同様な事をしている子供達を見たことがあったのを思い出した - IA03890 (2023-12-20 評価=4.00)
午後になり堯は悲しくなった。希望を持てないものは、追憶をいつくしむこともできない。彼は冬の為の貸家を捜す依頼の葉書を友人に出していたが、郵便局に行ってそれを取り消した - IA03891 (2023-12-20 評価=3.00)
帰り路、家屋の二階のとざされている木戸を見た。傍らには彼の部屋がある。堯は不意に他国の町でさまようような寄る辺ない旅情を感じた - IA03892 (2023-12-21 評価=3.00)
何ゆえそんな空想が起こるのだろう。その理由はおぼろげにわかるように思われた。自分の部屋に目を注ぐ。俺が愛した部屋。毎日の感情までが内蔵されているような気がする - IA03893 (2023-12-21 評価=4.00)
幽霊が窓をあけて首を差し伸べそうな気さえした。だがじっと見ているうちに徐々に通行人の心になる。通行人には電灯がつけば部屋に生命を感じるかもしれない。彼は坂を下った - IA03894 (2023-12-22 評価=5.00)
■四 堯は歳末売り出しのはじまっている銀座へ出かけた。金と健康を持つ人々の中で、堯はいつか電車の中で見た、病気(肺結核)を直感させる美しい顔をした少女を思い浮かべた - IA03895 (2023-12-22 評価=5.00)
病床から抜け出して来たらしい少女は、鼻をかむように何か拭きとっていた。街は人通りが多く、堯は痰を吐くのに困った。以前路傍でコマを売る老人が通行人の痰で困るのを見た - IA03896 (2023-12-23 評価=4.00)
その老人の玩具が売れるのは見た事がなかった。彼は「何をしに自分は来たのだ」という思いを口実にするかのように、フランス香料を買い、街角のレストランに腰かけた - IA03897 (2023-12-23 評価=4.00)
店を出るともう人通りはまばらになっていた。ここに来た事は古い生活の感興に過ぎず、やがて自分は来なくなるのだ。部屋に戻ると、古い生活が死のような空気の中で停止していた - IA03898 (2023-12-24 評価=4.00)
冬の日が窓枠を幻灯のように映し出すと、すべてのものが仮象に過ぎず、そのため精神的に美しく感じる事を露骨にした。花や実、あられとなって音を立てる時雨に堯は新鮮な喜びを感じた - IA03899 (2023-12-24 評価=4.00)
■五 冬至の後、堯は質店に外套を出しに行ったが、質草は既に流れていた。対応した番頭は言いにくそうにしていたが、堯も質流れを知らせる郵便を受け取っていた事を忘れていた