森鴎外の代表作「山椒大夫」は中世の説話を元にした、安寿(あんじゅ)と厨子王(ずしおう)姉弟の物語。その過酷な運命には誰もが涙を誘われるでしょう
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安寿は再度「どうぞ山へおやりなすって」と願った。二郎は思い込んでの願いと見えるから、自分から父に取りなそうと答え、小屋を出た。厨子王はなぜ突然頼んだのか尋ねた - IA01542 (2021-02-07 評価=3.00)
姉は喜んだように「ふいと思いついたの」と答えた。しばらくして奴頭が籠と鎌を持って汐汲みの道具と交換しに来た。奴頭は大夫一家に忠実な男で、困った様な表情をしている - IA01543 (2021-02-07 評価=3.00)
奴頭は、柴刈りをするなら髪を切って男の子のようにしろ、と三郎が言ったと伝えた。意外にも安寿が喜んで奴頭の前にうなじを伸ばすと、鎌の一掻きに長い髪がさっくり切れた - IA01544 (2021-02-08 評価=3.00)
■■ あくる朝、二人は木戸を出た。山の麓で、厨子王は姉に「あなたは私に隠して考えていることを、なぜわたしに言って聞かせてくれないのです」と尋ねた - IA01545 (2021-02-08 評価=3.00)
安寿は答えず、二人は歩いて行った。山に登る途中で、安寿が小さいすみれを見つけ「もう春になるのね」と言ったが、会話はすぐとぎれてしまう - IA01546 (2021-02-08 評価=4.00)
安寿は厨子王を連れて外山の頂きに出て言った。「厨子王、もう柴なんぞは刈らなくていい。伊勢から来た小萩に道を聞いたのです。あの中山を越して行けば都がもう近いのだよ - IA01547 (2021-02-08 評価=4.00)
都に行けばよい人に出逢わぬにも限りません。思いきって都へ逃げ延びておくれ。お父さまの身の上も知れようし、お母さまも迎えに行ける。その後、私を助けに来ておくれ」 - IA01548 (2021-02-08 評価=4.00)
弟が姉の身を案ずると「あの人たちは私を二人前働かせようとするでしょうが、お金で買った婢は殺しません」と答えた。弟は決めかねていたが、賢しい姉にはそむけなかった - IA01549 (2021-02-09 評価=5.00)
姉は守本尊(お守り)を弟に渡し「護り刀と一緒に大切にしておくれ。逃げた後、討手がかかるから、川の上手に逃げて塔の見えるお寺に隠してもらいなさい」と指示した - IA01550 (2021-02-09 評価=4.00)
厨子王は「姉さんの言葉が神様か仏様がおっしゃるようです。考えを決めました」と答え、厨子王の目も姉と同じようにかがやいてきた。二人は山を降りた - IA01551 (2021-02-09 評価=4.00)
泉で姉が木の椀をを出し、清水を汲み、門出の酒と言って二人で飲みかわした。厨子王は姉に別れを告げ、坂を駆け降り街道に出た。後に、追っ手が沼の端で藁ぐつを発見した - IA01552 (2021-02-10 評価=4.00)
■■ 山椒大夫の息子三郎は中山の国分寺の三門に大勢で押し寄せると「家の下人が逃げ込んだ。出してもらおう!」と叫んだ。寺の石畳には境内に住んでいる僧や住人が集まった - IA01553 (2021-02-10 評価=4.00)
寺の住持、曇猛律師は門を開けさせ、僧衣一つ身にまとって本堂の階の上に立った。丈の高い頑丈な律師の体と顔が揺らめく火に照らし出された - IA01554 (2021-02-10 評価=5.00)
律師は「住持のわしが知らぬ者は当山にはおらぬ。夜陰に押し寄せて下人探しか。当山は勅願の寺院だ。狼藉を働けば都からどんなご沙汰があるか知れぬぞ。引き取れ」と言った - IA01555 (2021-02-10 評価=5.00)
三郎が歯がみをすると、鐘突き台の番人の老人が「わっぱは昼頃寺院の塀の外側を通って南へ急いだ。もう大分行ったじゃろ」と言ったので三郎はとって返した - IA01556 (2021-02-12 評価=4.00)
■■ 寺は人を出して安寿の入水と、三郎の討手が舞鶴で引き返した事を確認した。三日後、曇猛律師は頭を剃り僧衣を着た厨子王を連れて寺を出発、京都近い山城で別れた - IA01557 (2021-02-12 評価=4.00)
厨子王が寺の籠堂で寝ていると、関白師実が枕もとに来て、娘の病気の平癒を祈る為に守本尊を貸して拝ませてほしいと言った。そ子王は自分が陸奥掾正氏の子だと明かした - IA01558 (2021-02-12 評価=3.00)
厨子王は越後で人買いに取られた話をすると、守本尊を見せた。師実は百済国の尊い放光王地蔵菩薩の金像だと認め、紛れない家柄を理解し、師実の家の客とする事に決めた - IA01559 (2021-02-13 評価=4.00)
■■ 守本尊を拝むと、上皇の后である師実の娘は本復した。師実は厨子王を元服させ、名を正道(まさみち)とした。正道は丹後の国守に任ぜられ、丹後での人の売り買いを禁じた - IA01560 (2021-02-13 評価=3.00)
正道(厨子王)は恩人の曇猛律師を僧都に任じると、安寿はねんごろに弔って尼寺を建てた。その後、休暇を得て佐渡へ渡ったが、役人に調べてもらっても母の行方は知れなかった