ロシア革命直後のウラジオストク。その男はロシア皇室の末路について話し始めた。残酷な戦場を舞台に、幻想文学作家夢野久作が描く、愛と死の物語
- IA02769 (2022-07-01 評価=5.00)
いくら過激派でも、温順な君主と家族にそんなことをするとは信じられません。ただ、仮にその噂が誤りだったとしても、彼が危険に直面している事を示しています - IA02770 (2022-07-01 評価=4.00)
疑わしい事実もありました。ニコラス廃帝の子息は皇太子一人だけだったことです。というのは、ロマノフ王朝では、秘密の皇子の存在が許されない事情があったのです - IA02771 (2022-07-02 評価=4.00)
当時、スラブ民族は上も下も後継ぎの皇子の誕生を渇望しており、どんな困難な事情があっても、皇子があったとしたら、披露されたはずだったからです - IA02772 (2022-07-02 評価=4.00)
ですから、彼は、廃帝に近く、道連れになった貴族の子息などではないかと思いました。しかし、秘密をうち明けられた事は光栄ですが、私も危険に接近したと感じました - IA02773 (2022-07-03 評価=4.00)
しかし私には、彼がなぜこな重大な秘密を私にうち明けたのか、わかりませんでした。私が貴族出身であることを察したか、それとも、親友を信じ慰めてもらいたかったのか… - IA02774 (2022-07-03 評価=5.00)
とは言え、この青年の行動は軽率です。誇大妄想狂で、贋造の宝石で私の眼を欺こうとしているかもしれません。かといって「何故僕に見せたのか」と聞くのも危険な気がしました - IA02775 (2022-07-04 評価=4.00)
結局、ただの戦友同志になりきった方が双方にとって安全と考え、私は「そんなものはむやみに他人に見せてはいけないよ。他の人間には絶対に気付かれないように」と言いました - IA02776 (2022-07-04 評価=4.00)
そして「君の一身上については力になる。身分のある人々の虐殺や処刑の話は何度も伝わっているのだからね」と言いました。彼は嬉しそうにうなずきながら、宝石をしまいました - IA02777 (2022-07-05 評価=4.00)
私はその宝石が欲しくてたまらなくなりました。自分の生命のことも忘れ、彼が戦死しはしまいかとも思いました。しかし宝石は、私を身の毛もよだつ地獄に連れて行ったのです - IA02778 (2022-07-05 評価=4.00)
■4 目的地のニコリスクは鉄道なら半日ですが、赤軍の占領地を迂回したので、14日目に寺院の塔が見える処まで来ました。草原のまん中に広葉樹の森林が浮き出していました - IA02779 (2022-07-06 評価=5.00)
ニコリスクはもう鼻の先だったので、私共の一隊は気がゆるんでしまい、草の中から首を出し、腰を伸ばし銃をかついだ不規則な散開隊形で森の方へ進行しました - IA02780 (2022-07-06 評価=5.00)
鉄道線路の向こうだったと思いますが、不意に機関銃の音がし、一発が私の左の股を突っ切りました。私は草の中にたおれ込み、ズボンを切り開いて傷口へ包帯をしました - IA02781 (2022-07-07 評価=5.00)
機関銃の音の中、私は身を伏せていました。仲間は私の負傷に気づかず、慌てて逃げました。途中機関銃の音は止みましたが、将校2名、下士兵隊11名は森の中に逃げ込みました - IA02782 (2022-07-07 評価=5.00)
リヤトニコフも私を振り返りながら、森の根元を這いのぼっていきました。そのすぐ後、森の中で激烈な銃声が起こりましたが、一分間も経たないうちに乱射乱撃は静まりました - IA02783 (2022-07-08 評価=4.00)
いつまで経っても、森を出て行く人影らしいものは見えません。そのうち、私はその森林がたまらない程恐ろしいものに思われ、臆病さから来る戦慄が身体をはいまわりました - IA02784 (2022-07-08 評価=4.00)
股の出血のせいか、私は気を失っていましたが、しばらくして正気を回復しました。私は銃も帽子も打ち捨て、草の中をはいずりながら森の方へ近づいて行きました - IA02785 (2022-07-09 評価=4.00)
生まれつき臆病者の私が、森に近づいたのは、眼に見えぬ力で支配されていたとしか説明できません。宝石のことなど忘れ、戦友の生死を確認する人情も残っていませんでした - IA02786 (2022-07-09 評価=4.00)
自分の行く処はあの森の中だ、というような気持ちで、左足を引きずりました。途中で二発ばかり遠くに銃声が聞こえましたが、本当の銃声だったのかどうか、わかりません - IA02787 (2022-07-11 評価=4.00)
■5 森の入口に着いた時には日が暮れていました。濡れた服から冷気がしみ渡り、くしゃみを我慢し身を伏せました。しかし、いくら耳を澄ましても、静かで何も聞こえません - IA02788 (2022-07-11 評価=4.00)
森の中に敵も味方もいないと確信できたので、ホッとしながらも、一人でいる事が不安でたまらなくなりました。その時リヤトニコフの宝石の事を思い出しました