美しい高原で病気の婚約者に付きそう私。残された短い日々を、二人はどうすれば幸せに送ることができるのか? 深い愛情を描く堀辰雄の名作
- IA03065 (2022-10-24 評価=5.00)
お前は父を見ても、唇に微笑ともつかないものを漂わせたきりで、私に「髪に雪がついているの…」と言った。手で触ると、自分の髪はうっすら濡れていて冷たかった - IA03066 (2022-10-25 評価=5.00)
12月5日、朝食に向かっているうち、目の前の枯れた灌木の根もとに雉(きじ)が来ていた。「おい、雉がきているぞ」私はお前が小屋の中にいでもするかのように声を出した - IA03067 (2022-10-25 評価=5.00)
その途端、どこかの小屋で屋根の雪がなだれ落ち、雉は飛び立ってしまった。午後、雪に埋まった村を一回りしたが、以前の姿を思い出せぬまま、カトリック教会までやって来た - IA03068 (2022-10-25 評価=5.00)
木造の美しい教会は、尖った屋根の下から黒ずみかけた壁が見えていた。私はお前と連れだって歩いたことのある森に入った。見覚えのある樅の木があった - IA03069 (2022-10-25 評価=4.00)
12月7日、集会場のかたわらでカッコウの鳴き声を聞いたような気がした。周囲を見回したが見当たらず、私はこの村ですべて失った、三年前の夏のことを思い出した - IA03070 (2022-10-26 評価=4.00)
12月10日、この数日、お前がちっとも生き生きと私に蘇って来ない。だが、薪に火がつかず引っ掻き回しているときだけ、ふいとかたわらにいるお前を感じる - IA03071 (2022-10-26 評価=4.00)
12月12日、通りかかりに、教会の小使いらしい男に尋ねると、昨年は冬中開いていたが、今年は神父が松本に行くので二三日で閉めるということだった - IA03072 (2022-10-26 評価=4.00)
そこへドイツ人の神父が帰って来て、明日の日曜のミサに来るよう勧められた。12月13日(日)、その教会を訪れ、一番後ろの藁で出来た椅子に腰をおろした - IA03074 (2022-10-27 評価=5.00)
昔お前と絵を描きにいた原に行き、白樺の木に手を掛けて、私は指先が凍えそうになるまで立っていた。しかし、私にはその頃のお前の姿は蘇らず、私は小屋に帰った - IA03076 (2022-10-27 評価=5.00)
12月14日、教会へ訪ねて行くと、神父は教会を閉ざして松本に発つ準備中で、小使いに信者が得られそうなのに残念だ、と言っていた - IA03077 (2022-10-28 評価=4.00)
信者になりそうな人、とは私のことを言っていたのかも知れない。こんな美しい空は、寒い強風の日でなければ見られない、という神父の言葉が、妙に心に触れた - IA03078 (2022-10-28 評価=4.00)
小屋に帰ると、小包でリルケの「鎮魂歌(レクイエム)」が届いていて、読み始める。12月17日、雪が降りつづき、私は一日中、暖炉の傍らで「レクイエム」を読んだ - IA03080 (2022-10-29 評価=4.00)
12月18日、雪が止んだので、裏の林を奥へ奥へと入ってみた。だが林は深く、私は断念して引っ返したが、道を間違えてしまった - IA03081 (2022-10-29 評価=4.00)
私は心細く雪を分けながら、小屋のありそうな方へ歩いた。胸をしめつけられるような気持ちになり、リルケの「レクイエム」の最後の数行が口をついて出た - IA03082 (2022-11-01 評価=4.00)
12月24日、夜、村の娘の家によばれて寂しいクリスマスを送った。帰り道、別荘の多い谷を見まわすと、明かりがついているのは私の小屋だけのようだった - IA03083 (2022-11-01 評価=5.00)
私は小屋の明かりが下の方まで射し込んでいることに驚いた。だが、小屋まで登りつめると、その明かりはほんの僅かな光を投げているに過ぎなかった - IA03084 (2022-11-01 評価=4.00)
私の人生は明かりと同様、意識せずおれを生かしているのかも知れない。12月30日、おれは人並み以上に幸福でもなければ不幸でもないという考えが浮かんできた