小石川養生所で六助という52歳の男が癌で死亡した。ところが木賃宿の主人が男のこみ入った家族関係について知らせてきた…。「赤ひげ診療譚」第二篇
- IA03798 (2023-11-03 評価=4.00)
富三郎は荒物屋を始め、母親は通いの茶屋奉公に出た。だが出奔時、富三郎は17歳(母は7歳年上)と若かったので怠け癖がついてしまった。ある日おくにが一人で店番中父親が来た - IA03799 (2023-11-03 評価=5.00)
父親の六助はおくにに「うちへ帰ろう」と言ったが、13歳のおくには母親といっしょにいると答えた。六助は「何か困ったらおいで、どんなことでもするから」と言い残して立ち去った - IA03800 (2023-11-04 評価=5.00)
おくにはそのことを母にも富三郎にも黙っていた。そしておくには16歳の夏、母の説得で富三郎と夫婦になった。母は富三郎のつなぎ留めに成功したが、以後嫉妬に悩むことになった - IA03801 (2023-11-04 評価=4.00)
■七 富三郎と夫婦になって二年後の冬の夜、富三郎を呼ぶ母の声で、おくには彼と母親との仲を初めて知ったのだった - IA03802 (2023-11-05 評価=4.00)
おくには母と富三郎の関係を知ると、二年このかた母が理由もなく怒ったわけがわかった、と話した。去定が「母親はどうした」と尋ねた - IA03803 (2023-11-05 評価=4.00)
おくには、母はそのあと家を出て、住み込みで茶屋奉公にはいったが、その後死んだと答えた。その際富三郎が母の危篤をおくにに知らせたが、おくには母に会わなかったという - IA03804 (2023-11-06 評価=4.00)
富三郎は外泊後、おくににいくばくか金を渡すことがあったが、おくには彼が母と逢い、母から金をもらった事を察していた。おくには母の墓がどこにあるかさえ知らない、と言った - IA03805 (2023-11-06 評価=3.00)
六助は母の死後家に来て、富三郎が元々彼の弟子で、母と逃げたことを教えた。六助はおくにに一緒に暮らそうと言ったが、おくには彼に済まないと思って断ったという - IA03806 (2023-11-07 評価=5.00)
その後、おくにと富三郎が金杉に引っ越したときも父は居場所を捜し当てた。そして幾らかのお金を置いて、店をたたんだので、何かあったら柏屋に知らせろと、告げたのだという - IA03807 (2023-11-07 評価=5.00)
蒔絵師として江戸じゅうに知られ、作品が御三家に買いあげられるほどの腕がありながら、素性を秘して安宿に泊まり、世間から隠れたくなることがあったのだろう、と登は思った - IA03808 (2023-11-08 評価=3.00)
■八 おくには、自分や子供が食うに困っても遊び回る夫の富三郎は、人でなしだと思うと言った。そして夫を改心させたいという話は差配に言うよう指示されただけだ、と続けた - IA03809 (2023-11-08 評価=4.00)
おくには「富三郎を殺したいくらいです」と初めて涙をぬぐった。去定は「よくわかった。だが胸にしまっておけ。明日は黙って頭をあげ、恐れいりましたと言うんだぞ」と強くさとした - IA03810 (2023-11-09 評価=4.00)
牢屋から外に出て、二人が歩きだすと、去定が人間とはばかなものだ、愚かなものだ、などと独り言を言っていたが、登に「あの女の言ったことをどう思う」と問いかけた - IA03811 (2023-11-09 評価=4.00)
登が返答に困っていると、去定は「夫はただの気弱なぐうたら人間だろう、夫だけを責めるのは間違いだ。原因は誘惑した六助の妻にある」と言った。登はそれを聞いて男にも非はあると思った - IA03812 (2023-11-10 評価=4.00)
それは狂女おゆみとのあやまちを思い出したからだ。去定は「人生は教訓に満ちているが、万人にあてはまる教訓は一つもない。俺は町奉行に会ってくるからお前は先に帰れ」と言った - IA03813 (2023-11-10 評価=5.00)
翌日、おくには牢から出された。去定は登に六助の残した五両をおゆみに渡し、後十両は必要な時まで預かる、と伝えるよう命じた。十両は去定の患者、島田越後から貰った金だという - IA03814 (2023-11-11 評価=5.00)
けげんそうな登に、去定は島田越後から十両を出させた理由を語ったのだった。
「赤ひげ診療譚 駈込み訴え」山本周五郎作
昭和33年(1958)4月