石田三成の盟友、大谷吉継(刑部)の物語。関ケ原決戦に至る彼の心情と三成への思い、奮戦ぶりなど、戦国感覚が肌に伝わる吉川英治の短編歴史小説です
- IA03837 (2023-11-21 評価=3.00)
「お許の姿もぼっとしか見えぬ」と刑部が言うと、三成は痛ましげに眉をひそめ、「眼まで不自由でも、内府のためには、押して出向かわねばならぬのか」と質問した - IA03838 (2023-11-22 評価=4.00)
(刑部)「この体で栄華栄達は望まない。秀頼公が早くご成人あれと祈ればこそ、内府の命にも応じるのだ。それに戦は精神でするもの。まだ心の眼まではつぶれてはおらん」 - IA03839 (2023-11-22 評価=5.00)
「この耳を心耳としてつかえば軍の配備も知ることができる。ただ不自由はないが、身の回りの些細事を人の世話にはなりたくない。余り見えぬ眼だが大事にはしている」と刑部は言った - IA03840 (2023-11-23 評価=4.00)
■更けゆく湖心 三成は、家康の上杉攻めをどう思うか、と尋ねた。刑部は「家康と戦える気骨者は、上杉と三成くらいしかおるまいが、上杉と直江はひとたまりもない」と答えた - IA03841 (2023-11-23 評価=4.00)
(刑部)「人心の帰趨、諸侯の仰望が上杉にはない。そもそも、朝鮮の役が時勢を変えた。乱世が去り、人心は戦に飽きた。民は家康に耳を傾け、諸侯は争うように家康陣営に加わった」 - IA03842 (2023-11-24 評価=4.00)
三成が「直江兼続は私怨私欲で兵を挙げたのではない。豊臣秀頼公の天下が家康に奪われるのを見ていられないのだ」と言った。刑部は「そうだろうか…」と深く息を吐く - IA03843 (2023-11-24 評価=4.00)
(三成)「昨日まで故太閤殿下を称えていた人々が、今日は徳川内府を称える…、知識のない人々は飽き性なのだ。徳川内府に天下を渡すわけには参らぬ。時は今なのだ」 - IA03844 (2023-11-26 評価=4.00)
「直江兼続が東北で内府の軍を引き寄せる間に、毛利、島津を起たせて…」と戦術を語る三成を遮り、刑部は「上杉の挙兵は三成の策謀か?」と問うた。三成は頷いた - IA03845 (2023-11-26 評価=5.00)
■茶の日 刑部は三成に企てに成算がない事を説いた。毛利輝元は頼みにならないし、直江兼続は家康と手を握る恐れもある。味方の小早川秀秋や宇喜多秀家も裏切るかもしれない― - IA03846 (2023-11-27 評価=5.00)
第一に石田三成は、誰もが当代稀な人材とは認めても、文官型の人物であり人望不足だ。武人とも反りがあわない―。刑部は企てをおもい止まるよう、真剣に説いた - IA03847 (2023-11-27 評価=4.00)
三成は打たれたように黙っている。だが、もう大事は進んでしまった。刑部は「困った。上杉征伐の前であれば、家康の首をとる算段も策がないでもないに…」と嘆息した - IA03848 (2023-11-28 評価=4.00)
二人は茶席で湯を沸かす炉に向かい、湯音の中でお互いの心を推し測った。三成が茶を差し出すと、刑部は茶碗の緑いろの泡を見て、かつてのある記憶を呼びおこした - IA03849 (2023-11-28 評価=4.00)
太閤も在世だった十余年前、大谷刑部は既に業病の兆候が皮膚に出ており、彼を嫌う大名も多かった。ある茶会で、彼は石田三成に温かい扱いを受けた事を思い出した - IA03850 (2023-11-29 評価=5.00)
その茶会では、刑部の隣に三成が座っていた。濃茶の茶碗を太閤から順に飲み回す際、刑部は茶をひとくちふくみながら、茶の中に鼻水を一滴こぼすという粗相をしてしまった - IA03851 (2023-11-29 評価=5.00)
ところが隣の三成は小声で(いただきましょう)と言い、何事もなかったように飲みほして茶碗をおさめたのである。刑部は三成に熱いものがあるのを知り、親しい交わりを求めた - IA03852 (2023-11-30 評価=4.00)
■誤算 刑部は、とうとう賛同せず、駕籠に乗って垂井へもどった。翌日、大谷勢は宿長の邸にとどまり、病気が悪くなったという噂が広がったが、彼の胸の内は定まっていた - IA03853 (2023-11-30 評価=5.00)
刑部は、どの部将が治部に味方し、どう戦うかべきか考えた。そして夜中、湯浅五助に三成に手紙を届けるよう命じると、軍勢には越前敦賀へ引っ返す命令を出したのである - IA03854 (2023-12-01 評価=5.00)
夜明け。乳白色の霧である。西軍は三成以下十余万とも号する大軍を擁し、各所で戦端がひらかれた。喚声が響く中、三成は、今家康の本拠を衝けば、必勝疑いなしと考えた - IA03855 (2023-12-01 評価=4.00)
三成は手紙で「生命を進上しよう」と送ってきた刑部を頼みとしていた。だが刑部の陣が東軍とぶつかり、狼煙が上がっても、味方の小早川秀秋と吉川広家の手勢は、山を下りてこない - IA03856 (2023-12-02 評価=4.00)
小早川秀秋は刑部らからの催促の急使にも応じない。逆に家康側は秀秋陣に裏切りを催促し、誘い鉄砲を浴びせていた。結果、一万五千の兵は大谷刑部の側面に襲いかかったのである