モリーオ市の職員キューストは、人々が集うという伝説のポラーノの広場を探し始める……。作者の生涯を投影した作品とも言われる宮沢賢治代表作の一つ
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子どもが「僕らはもっと勉強したい。時間はないけど、勉強できるしかたを考えたい」と発言しました。私は思わず立ちあがって話しました。「諸君、勉強はきっとできる(続く) - IA04508 (2025-02-11)
(続き)君たちは労働で体は充分に使っているから、今の勢いで一生勉強すればいい。酒・煙草・女・喧嘩などに力を使わず、勉強のために使うのだ(続く) - IA04509 (2025-02-12)
(続き)そうすれば諸君は本当のポラーノの広場を作れるだろう」と話しました。ファゼーロが皆に冬の間に勉強しよう、と言ったので、私は植物の生理などを教える事にしました - IA04510 (2025-02-12)
皆は冬に工場で色々造り、夏は畑や野原で食物を作って互いに取り換えようと言って盛り上がりました。私は「千人の天才が集まり、お互い尊敬しながら仕事をしよう」と演説しました - IA04511 (2025-02-13)
誰かが「ロザーロ姉さんをもらったら」と叫んだので、私はぎくっとし「私はまだ勉強が必要だから仲間にはならない。ぼくは野原の富を三倍にする方法を考えるよ」と言いました - IA04512 (2025-02-13)
新しいポラーノの広場の開場式を水を飲んですることになり、ファゼーロが水を汲みに行きました。皆は工場の外の芝生に車座に座り、コップを洗い水をつぎました - IA04515 (2025-02-15)
ファゼーロたちは3年後には立派な産業組合を完成させ、ハムと皮類と酢酸とオートミールなどの生産物は各市に出荷されました。その3年後私は仕事の都合でモリーオの市を去りました - IA04516 (2025-02-15)
その後、私は「ポラーノの広場のうた」という歌詞のついた楽譜を受けとりました。それはファゼーロの作ったものだと思われました。
「ポラーノの広場」(宮沢賢治作) 昭和9年(1934)