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堺事件 (森鴎外) 44分割入力文の数= 44 <<  1  2  3   >>

明治初頭の日本、上陸をめぐり多数のフランス水兵が死亡した。激怒した公使ロッシュは強硬な処断を要求したが……。実際の事件を描く森鴎外の本格歴史小説

作家や目的で選ぶ

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    363
    IA04240 (2024-09-06)

    明治元年、徳川慶喜が戦いに敗れて江戸へ逃れると、各都市は無政府状態に陥った。そのため大阪は薩摩藩、兵庫は長門藩、堺は土佐藩が取り締まる朝命が出ると、秩序は回復した
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    379
    IA04241 (2024-09-06)

    2月15日、フランス兵が堺に来るとの話が町年寄から伝えられた。外国事務係からの通知がなかったため軍監府の杉と生駒は軍を率いて大和橋で待ち受け、フランス兵を大阪へ引き返させた

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    396
    IA04242 (2024-09-08)

    同日、町人からフランスの水兵が上陸したと訴えがあった。神社仏閣や人家に立ち入る行いがあり歩兵隊が出動した。だが通訳がいなかったため混乱し、水兵が隊旗を奪って逃げた
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    379
    IA04243 (2024-09-08)

    兵の一人が水兵に追いすがって隊旗を取りもどしたが、これを見た端艇(はしけ)のフランス水兵たちは一斉射撃をした。これに歩兵隊も反撃した

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    427
    IA04244 (2024-09-09)

    結局フランス側水兵の死者は13人で、うち一人が下士官だった。歩兵隊の二人の隊長は射撃理由を問われ、火急のため命令を待つことができなかったと弁明した
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    409
    IA04245 (2024-09-09)

    杉は両隊長に、軍艦の襲撃に備えて防戦の準備をさせ、外国事務係と京都の土佐藩邸へ報告した。両隊長は海岸へ斥候を出し、収容した幕府の敗兵や岸和田藩の兵らと台場の守備を行った

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    408
    IA04246 (2024-09-10)

    16日明け方、土佐藩は堺の取り締まりを免ぜられ、兵隊を引き払った。軍監の杉が外国事務係に呼び出され、事件の届け書を詳しく書き替えて出せという命を受けた
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    396
    IA04247 (2024-09-10)

    京都の土佐藩邸から家老山内隼人らが大阪へ派遣されて事態の収拾に当たることになり、歩兵隊長の二人と歩兵らは大阪を出ることを禁止された

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    416
    IA04248 (2024-09-11)

    フランス公使ロッシュは外国事務係に、土佐藩主の直接謝罪、士官二人・兵卒二十人の死刑、遺族扶助料15万ドルの損害賠償を請求した。隊長・兵隊に確認すると二十九人が射撃したと答えた
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    397
    IA04249 (2024-09-11)

    射撃しなかったと答えた者は帰国することになり、射撃したと答えた隊長箕浦と西村、および小頭・兵卒らは砲兵隊の監視を受けるため、藩の本邸、西邸に入れられた

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    414
    IA04250 (2024-09-12)

    射撃したと答えた者らの中には、死刑になると考え、フランス軍艦に切り込んで死のう、あるいは一同刺し違えて死のう、などの話も出たが、佩刀(帯びている刀)を取り上げられた
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    350
    IA04251 (2024-09-12)

    22日、家老深尾鼎がご隠居様(前土佐藩主山内容堂)の代理として、兵卒25人に「フランス人が下手人20人を差し出すよう朝廷へ迫ったので、いずれも生命を差し出すように」と告げた

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    390
    IA04252 (2024-09-13)

    次に、大目付小南が「生命を差し出す20人を選ぶため、稲荷社に詣でてくじを引きを行え。当たったものを死刑に処す」と告げた。そこで25人は稲荷社に行き、くじを引いた
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    430
    IA04253 (2024-09-13)

    上裁を受ける当たりくじを引いたのは六番隊で十人、八番隊の六人、それに隊長、小頭各二人を加え二十人になった。彼らは引きまとめて本邸に留め置かれることになった

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    376
    IA04254 (2024-09-14)

    はずれくじの組は船で帰国することになった。当たりくじの組みは遺書を作り、まげを切って遺書に巻き、下横目に差し出した。その後、酒肴を馳走になると、皆酔って横になってしまった
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    434
    IA04255 (2024-09-14)

    土居は杉本と皆を起こし、あすどうして死ぬるか相談し、切腹がよいと意見をまとめた。そこで16人は取り次ぎ役に奉行衆への面会を申し入れたが、夜中の推参は宜しくないという

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    426
    IA04256 (2024-09-15)

    16人が怒ると、奥の間から小南、林ら重役が出て来た。竹内が、上官の命令を奉じた事は、犯罪ではないと主張すると、小南は「隊長の非理の指揮に従うのは非理の挙動だ」と言った
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    371
    IA04257 (2024-09-15)

    だが竹内は「兵卒が隊長の命令の理非を考えていたら、戦争はできますまい」と主張すると他の者も同調した。小南は失言を認め「評議のため暫く待て」と言って中に入った

  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    430
    IA04258 (2024-09-16)

    小南が出て来て「太守様は病気を押して大阪のフランス軍艦へご挨拶なされた。外国との交際のため公法に拠り、明日堺表において外国公使臨場の上、切腹仰せ付けられる」と演説した
  • 歴史
    投稿 TypetrekJさん
    文字数
    414
    IA04259 (2024-09-16)

    竹内は、有り難くお受けするが、同時に一同に士分の取り扱いがあるように願い出た。小南はいったん座を起ったが、詮議の上、士分の取り扱いを行い、絹服を与える事となった