プロレタリア文学の金字塔「蟹工船(かにこうせん)」。極寒の海で過酷な作業を強いられる労働者たちは搾取に耐えかね、連帯することにした……
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川崎船で父親が出ている雑夫は心配の余りオドオドしていた。夕方近く、ロープで結び合った二隻の川崎船が接近してきた。波のためなかなか本船に近付くことができない - IA04610 (2025-04-23) NEW
甲板から何度もロープが投げられたが、なかなか届かない。だが、ようやく一本のロープが、川崎船の漁夫を横倒しにしたものの、うまく捕捉された - IA04611 (2025-04-24) NEW
沈没寸前だった川崎船は漁夫が他の船に移って帰ったので、結局八艘中一艘が行方不明となった。翌朝捜索のため博光丸は北緯51度5分まで移動した - IA04612 (2025-04-24) NEW
「寒気」が襲ってきた。船の濡れている部分がカリッと鳴って氷が張り、霜の結晶でキラキラ光った。九時近く、浮いていた一艘の川崎船が発見され、監督は喜んだ - IA04613 (2025-04-26) NEW
それは探していた川崎船ではなく別の船だったが、浅川はニヤッとして、その川崎船を引き上げさせた。一人の漁夫が「泥棒猫!」と網をさばきながら言った - IA04614 (2025-04-26) NEW
監督は大工に川崎船の番号をカンナで削って第36号を第6号に変更させると、嬉しそうに笑った。船は元の場所に戻るためカーブした。カムサツカ(カムチャッカ半島)の連峰が見えた - IA04615 (2025-04-28) NEW
行方不明の川崎船は戻らない。漁夫達は万一の処置が出来るように、残った荷物から家族の住所などを調べた。子供からの手紙を見つけた漁夫はむさぼるようにそれを読み、別の男に渡した - IA04616 (2025-04-28) NEW
「浅川のせいだ。死んだと分かったら、とむらい合戦だ」とその漁夫が言い、若い漁夫も同意した。隅にいた男は「俺にまかせろ、あの野郎一人グイとやってやる」と言った - IA04617 (2025-04-29) NEW
三日後、行方不明だった川崎船が戻ってきた。彼等は暴風雨の中、死を覚悟したものの、カムサツカ(カムチャッカ半島)の岸に打ち上げられ、ロシア人家族に救われたのだった - IA04618 (2025-04-29) NEW
最初は外国人を無気味に思ったが、親切で、村の人達も集まってきた。彼等はそこに二日いて(帰りたくなかったが)帰る事になった。その時中国人を連れてロシア人の男がやって来た - IA04619 (2025-04-30) NEW
中国人は下手な日本語でロシア人の話を通訳した。難破した漁夫たちは貧乏なプロレタリア(労働者)であり、働かない金持ちだけが太っていく、と言った - IA04620 (2025-04-30) NEW
中国人は「働く人と働かない人がいる国は駄目。ロシアには働かない人もずるい人もいない」と言った。彼等はこれが共産主義思想かと恐ろしく思ったが引きつけられもした - IA04621 (2025-05-02) NEW
またロシア人が話をすると「大勢のプロレタリア(労働者)が団結すれば、誰にも負けない。働かないでお金儲ける人を追いだせばプロレタリアが一番偉くなる」と中国人が通訳した - IA04622 (2025-05-02) NEW
中国人は、日本から働かない人を追い出せば、働く人ばかりのいい国になる、と説明した。そして「船へ帰って働かない人追い出す。(拳を振り上げて)大丈夫、勝つ」と言った - IA04623 (2025-05-03) NEW
若い漁夫は興奮していたが、船頭はこれをロシアが日本人をだまし共産主義に共鳴させる「赤化」だと思ったので、もっと聞きたがっていた者もいたが、話を中断させた - IA04625 (2025-05-04) NEW
無電係が他船の収穫を監督に知らせると、監督はアセリ出し「船員」と「漁夫、雑夫」に仕事量を競わせた。最初は成果が上がったが、五、六日経つと仕事量が減っていった - IA04626 (2025-05-04) NEW
今度は監督は勝った組に賞品を出すことにした。また皆は仕事に熱を入れるようになると、監督はさらに働きの少ないものに「焼き」を入れることを貼り紙した - IA04627 (2025-05-05) NEW
「焼き」は真っ赤に焼いた鉄棒を身体に当てる。そのため皆人間の身体の限度まで仕事をした。過労で眠れない者もいた。その地獄のような状況に、夜中に突拍子な叫び声が起こったりした - IA04628 (2025-05-05) NEW
学生上がりは、ドストエフスキーの「死の家の記録」に描かれた、刑務所での生活よりひどいと嘆いた。だが、創業当時苦闘を続けた蟹工船は、以前よりはましになったと言う者もいた